出産に立ち会うと決めた理由
出産そのものをするのは妻です。それは分かっていました。それでも、子どもに対する思いは夫婦二人のものだと思っていたので、私は迷わず立ち会いを決めました。
正直、当時は「立ち会うとはどういうことなのか」を、具体的にはよく分かっていませんでした。育児雑誌やネットの記事を読んでも、立ち会い出産の具体的な様子はどこか他人事のように感じられ、実感が湧きませんでした。ただ、妻が一番大変なときに、自分だけ廊下で待っているという状況が、どうしても想像できなかったのです。「一緒にいたい」という、ただそれだけの気持ちで決めた立ち会いでした。
深夜0時、静かに始まった長い一日
陣痛の予兆があったのは、深夜0時ごろでした。最初は「そろそろかもしれない」というくらいの感覚で、そこまで慌ててはいませんでした。時計を何度も確認しながら、妻と二人で「まだ大丈夫かな」「そろそろ準備した方がいいかな」と、静かに話していたのを覚えています。ただ、時間が経つにつれて陣痛の間隔がはっきりと周期的になっていき、タクシーに乗って病院に入ったのは、朝5時ごろのことでした。
午前中は、妻もまだ会話ができるくらいの余裕がありました。「意外と落ち着いているな」と、正直少しほっとしていたのを覚えています。ただ、そこから徐々に妻の余裕がなくなっていき、午後には促進剤も使いながら、周期的に強い痛みが襲ってくるようになりました。
朝5時、妻が病院に入ってすぐ、私は一人でコンビニに向かいました。「これは長い戦いになるだろうな」と、根拠のない直感がありました。カフェイン飲料を10本ほど買い込んで病院に戻ったのですが、正直この時点で、「このあとどうなるのか、全く見当がつかない」という不安がかなり強くありました。頼れるのは飲み物だけ、というくらいの心細さだったと思います。コンビニの明るい照明の下で一人、レジ袋いっぱいの飲み物を抱えながら病院に戻る道すがら、これから何時間、何十時間かかるのだろうと、頭の中がぐるぐるしていたのを覚えています。
「全力で押す作戦」、あの夜の光景
そして夜になっても、状況は大きく変わりませんでした。産婦人科の先生から告げられたのは、陣痛が長引いていて、赤ちゃんのつむじしかまだ見えていない、という状況でした。長時間の陣痛で妻の体力も限界に近づいていて、隣で見ている私も、正直かなり追い詰められた気持ちになっていました。
「帝王切開という選択肢もありますが、その前に、みんなで全力で押す作戦を取りたいと思います。良いでしょうか?」
先生からそう提案されたとき、妻は私と目を合わせて、「やるしかない!」という表情で承諾しました。あの目を、私は今でもはっきり覚えています。痛みと疲労でボロボロのはずなのに、そこには確かな強さがありました。
そこからの光景は、今思い返しても圧巻でした。先生と看護師さんたちが、まるでラグビーのフォーメーションを組むように、お腹を押す人、吸引カップで赤ちゃんの頭を引っ張る人、赤ちゃんを受け取る人、妻の足を支える人と、それぞれの役割に颯爽と分かれて対応してくれたのです。医療のプロフェッショナルたちが一丸となって動く姿は、不安でいっぱいだった私にとって、本当に頼もしいものでした。
大変だったこと、そして立ち会って良かったこと
私自身が担当したのは、「いきみ逃し」と呼ばれる役割でした。これは後から知った言葉なのですが、周期的にやってくる痛みを少しでも和らげるために、妻の肛門付近を拳で圧迫する、というものです。
もちろん、やったことなどありません。バタバタとした状況の中で、「これで本当に合っているのか」という不安を抱えながら、ただ必死に続けていました。周りでは先生や看護師さんたちがそれぞれの役割をテキパキとこなしている中、自分だけがおぼつかない手つきをしているような気がして、余計に焦りが募っていたのを覚えています。それでも、後になって妻から「あれは本当に助かった」と言ってもらえたことが、私にとって何よりの救いになりました。
立ち会って良かったと感じるのは、妻を一人にさせずに済んだことです。赤ちゃんも、長時間に及んだ出産の中で、本当によく頑張ってくれたと思います。そんな二人を、一番近い場所でずっと応援できたことは、私にとってかけがえのない経験になりました。
妻への気持ち、今振り返って
あの夜のことを振り返るたびに、妻に対する気持ちは、感謝の一言に尽きます。長時間の陣痛、痛みに耐えながらの決断、そして最後の全力の踏ん張り——そのすべてを乗り越えてくれた妻には、もうただただ感謝しかありません。深夜0時から始まり、夜になってようやく赤ちゃんに会えるまでの、まるまる一日近くにわたる長丁場でした。それだけの時間、痛みと向き合い続けた妻の強さには、今でも頭が上がりません。
私自身は、正直あの日、うまく立ち回れていたとは思いません。不安でコンビニに走ったり、いきみ逃しがちゃんとできているか分からないまま必死にやっていたり、完璧な父親とは程遠い姿だったと思います。それでも、あの場に一緒にいられたことだけは、間違っていなかったと今でも思っています。
同じように立ち会いを迷っているパパへ
もし今、立ち会い出産をするかどうか迷っているパパがいたら、伝えたいことがあります。完璧に役に立てるかどうかは、あまり気にしなくていいと思います。私自身、当日は不安だらけで、うまくできているか分からないことばかりでした。コンビニで飲み物を買い込むくらいしか、自分にできることが思いつかない瞬間もありました。
それでも、妻を一人にしないこと、そばで一緒に頑張ることには、きっと大きな意味があります。弱さや戸惑いも含めて、そのすべてが「一緒に子どもを迎える」という経験の一部なのだと、今振り返って感じています。あの夜の光景は、これから先も、私たち夫婦にとってかけがえのない思い出であり続けると思います。


